枕に顔をうずめたら

とりとめのないことをつらつらと書き綴るブログ。持て余した感情の最後の地。

しばらく

だいぶ更新しなかった。久々のブログは何を書こうか迷うね。

あ、タイトルと一言を変更してみた。どうでしょう。

なんで変えたかというとね、ここでは内容が表立って言えないことというか、結局仕舞い込むしかなかった気持ちばかり記しているからで。日々のシナリオの裏側を書いている気がしていて。もっと内面に手が触れられるようなタイトルにしたかった。

ひとり悲しくて泣くときは声を聞かれないように枕に顔をうずめるでしょう。もしくは泣かなくとも枕の柔らかさに身を委ねて安心するとか。枕は日々の終着点なんじゃないかと思うの。どれだけ喜んでも苦しんでもたどり着く場所。まあ枕を使わない人もいるでしょうからそういう方は枕に代わるもので安心してほしい。

物事を悲観的に考える私にしてみればこの世界はとても悲しみに満ちていて、心の中をなだめて笑顔を作るしか自分を救う術がない。そしてそれが私だけではないだろうということが悲しい。柔らかさと優しさだけに包まれて生きていきたいのに、落ちているガラスの破片で怪我したり冷水をぶっかけられたりするのが常で(あくまで例えです)。でも毎日を続けることしかできない。だったら猶更自分の心だけは大切にしていきたい。感じたことを忘れぬよう、記していこうという気持ちを込めて変えてみた。

抱負だけは立派だなあ。ま、いいや。

心に向き合っても辛いんだけど、それを止めるとなんも感じなくなっちゃうんだよ。

この最後の地では少し素直でいたいものね。

同じ場所から違う世界を

生まれた時からずっと一緒に過ごしてきた大人との夕飯時。今日は会話がほぼなかった。というか、私が拒絶した。

初めて自発的に話すことをやめた。喧嘩中で話さないだとか、どちらかが不機嫌だとかいう理由で会話をしないことは多々あったが、今回の静寂は今までとは明らかに違う。

なぜか急に話す気が起きなくなった。なぜだろうと思いながら黙々と食事をしていた。最近あまり眠れていないから話す気が起きないのか。ただ単に疲労によるものか。心の内で理由を挙げてはみるものの、どれもしっくりこなかった。

急に機嫌を損ねた(ように見えたと思う)私に対してどう振る舞えばいいのかわからなくなってしまったであろうその人は、食事を終えたら自室へ向かった。その後何度か私のいる場所に訪れてきたので会話をしてはいたが、私はどうしてもぶっきらぼうな受け答えしかできなかった。

 

話しているうちにわかったことがある。私はその人と同じ場所にいながらも、違う世界を望んでしまっているのだ。そして、その人も私と違う世界で生きることを望んでいる。離れたいわけではなく、行きたいもしくは行けるであろう世界を知らぬ間に違えてしまっていた。

だから、私はその人の心のサインを無意識のうちに察知し、私自身もまた、自分の迷いや不安や期待を自覚していたようにおもう。

もうお別れしなければいけないのだと気づいてしまっただけの話だった。

世界も人も、わたしも、荒波と激情に呑まれていく。

 

タイトルからして

本について書かねばというか書きたい。

あんまり最近読めてないけどちまちま書いていこう。

読もうとしている本のリストだけあげておこうかな。読書メーターやればいいんだろうが、あそこはどうも気を張りすぎてしまいそうで。表現を誇張しちゃうとか、ほんとは思ってないのになにかしらもっともらしいことを書かねばと勝手に責任を感じていらない努力をしてしまうんだろうなと。

だったらここで気ままに書いていくことにしようと。

ではリストをば。

<積読>

・『泥ぞつもりて』宮木あや子

・『恋の華・白蓮事件』永畑道子

・『聖少女』倉橋由美子

・『パルタイ倉橋由美子

・『夢の浮橋倉橋由美子

・『酔郷譚』倉橋由美子

・『蛇・愛の陰画』倉橋由美子

・『くいしんぼう』高橋みどり

・『アンのゆりかごー村岡花子の生涯』村岡恵理

・『太陽の庭』宮木あや子

・『もうひとつの街』ミハル・アイヴァス

・『花のノートルダム』ジュネ

・『ホテル・アイリス』小川洋子

・『ねむり姫』澁澤龍彦

・『少女コレクション序説』澁澤龍彦

 

偏 っ て る 

それと倉橋由美子パレード…

しばらくは倉橋由美子のターンが続きそうです。

彼女の作品は、ちょっと勉強のほうで使うのでなんとかして読まにゃーならんのです。

澁澤さんは嫌いじゃないけど難しくて途中でリタイアすることが多いので、ひとまず読み切ることを目標に。

あらかじめ、私自身がにわか読書ガールだと公言しておきます。にわかだから難しいこと問われても分からないかもよと。

まあ、この時点で閲覧数ゼロなんでそんな心配もないですね。

気ままに読書記録つけていきます。あとちょくちょく雑談をはさみながら、ね。

今日のところはこれで。

さらば!

片付けという行為が誘う、善と悪

単刀直入に言うと、私は片付けることが苦手だ。生まれてから今日に至るまで片付ける行為に苦痛を感じなかったことはなくて。大掃除を始めても、捨てる捨てないという時点の判断ですら自分の意志では決めることができなかった。身の回りの物を整えるという行為には違和感を感じなくとも、選択して破棄していくという行為に関しては取り掛かるたびに戸惑い動揺してしまった。

ただぼんやりと、捨てることに対して抵抗があったのだろうと思う。それは今でも続いていて、実際に現在の私の部屋はジャングルと化している。足の踏み場がほぼなく、物が溢れてどこから取り掛かったらよいのか当の本人でもわからない。できるだけ早いうちに自室の混沌を解消し、安心して寝起きできる空間に戻していかなければならないだろうなとは思う。しかし焦るばかりで手が付けられない。自室の惨状を目の前にすると足が竦む。やる気を削がれる。なんだこの汚部屋はとひとりごちて終わる。

自分はダメ人間だと落ち込んで目を背けてばかりで何もできなかったが、実はしっかりとした理由が存在したのだということを最近知ることとなった。

  • 私は自分のごちゃごちゃした部屋を片付けることで、必然的に過去の思い出と対峙するはめになる。一つ一つの物に対する思い出と向き合い取捨選択をする行為は、過去の優しい記憶と再会することができる反面忘れたいこともしくは忘れたのだと思っていた記憶に出会いさらには捨てる必要が生じてくる。このいちいち向き合い捨てていく作業は心身共に疲弊するものだ。私は日常生活および社会生活を送ることでいっぱいいっぱいだ。生きていくための行為が得意ではない。おそらく、私は生きていくために必要な処世術である「捨てる」ことが苦手であるため過去に向き合えない。向き合ったとして捨てる度胸もない。過去に縛られるタイプであるため、よい記憶も悪い記憶もすべて持っていこうとしてしまう。捨ててはいけないのではないかと、不安になってしまう。 

これらの悪循環が私と過去をいつまでも同じ場所にとどめているんではなかろうか。

 

きるということ

切るべき時に切れないのは弱さだと誰かが言っていました。

確かに続けるべきでない関係は互いのために切る必要があると思います。切ることで今までとは景色が変わって新しい価値観に巡り合うことができるでしょう。もともと歯車の合わない関係だったならしがらみを捨てて未来へ駆けだすことが可能になりますし。煩わしい関係というのは往々にして己の変化の邪魔をするので。

私は切るべき時に切れない人間なのですが、相性が合わないとわかっている友人と無理やり関わり続け本格的にダメになってから最終的な決断を下すことが多いです。相性が合わないといいつつも自分を抑えることで続けられてしまうことに問題があるとは思います。これに関しては私に問題があると思うので直していかねばならないところです。

何度も繰り返してしまうと書きましたが、これは許せないことの後に安らぎが到来するという決まった流れによるものではないかなあと。

だいたい不快を感じる対応をされた後には優しい対応をされることが多いです。傷つけられても癒してもらえるからまだやっていけると感じるというような。

たとえ不快指数が上昇して切れそうになっても、その人の優しい顔が自然に思い出されるので思いとどまらざるを得ない。切ろうとした自分を執拗に責めてしまう。

このようなサイクルを繰り返していると判断力が低下する。そして疲弊してくる。ようやく切れたと思ったら自分が疲弊して病んでいるような感覚に苦しむ。

 

やはり、まだ情の移らないうちにサヨナラする必要があるようですね。

説教みたい。すみません。 

ではさらば~

私のパソコンの名前は

はてなの背景デザインが未だかつて出会ったことがないというレベルの可愛さなのですが…。

手書きの文字をぱそちゃんが再現しているという驚きに動揺して眠れない。

ちなみに私専用のぱそちゃん(パソコン)には名前があります。蘭丸といいます。名前の由来は織田信長の小姓であった森蘭丸から来ています。勘違いしないでいただきたいのが、ぱそちゃん本体に蘭丸らしい特徴があったわけではないということです。「なんかフォルムが蘭丸っぽい」「この密集したキーボード、蘭丸の細胞みたい」とか怖すぎますからね。なに蘭丸っぽいって。そんな人の形を帯びたパソコン見たことない。細胞みたいとかもはや体内の話ですし会ったこともない蘭丸の細胞について語れる脳みそと自信に根拠はあるのか。なんちゃって。

ただ何となく、候補として挙げていたこの名前が一番しっくりきたのです。主君守って亡くなった森蘭丸にちなんだ名前だとなんだか壊れてしまいそうで心配だとも思いましたが(名は体を表すとも言いますからね)、白くて美しい佇まいが名前や生き様とマッチしているのかもなあと思ったんですよね。だから私のぱそちゃんは蘭丸君にしようって決めたんです。

大事するよ蘭丸。だから2回程持ち歩いている際に落としたことは見逃してほしい。

あわあわ。

そもそもぱそちゃんに名前をつけるという行為自体が異常だと友人に気味悪がられたのですがどうなんでしょうね。愛着湧くのになーとか思ったり。

まあいいや。さらば~